筆者は、少しだけ哲学書を読むのだが、アリストテレスについてはあまり調べてなかった。
今回、「ヴェニスの商人」を読破したのだが、翻訳者の後書きにこう書いてあった。
「金が子を生むことがあってはならない、自然の法則に反するからである。」アリストテレス
哲学者とは、難しいことを考えている人をイメージするだろうが、その通りと言っても過言ではないだろう。しかし、彼らの言及する内容は、常に我々にとって重要かつ身近なトピックに他ならない。無論、真実に触れた内容なのである。
「金が子を生む」という表現自体、筆者には皮肉な事象を言い当てた、上手い言い回しに感じ取られる。労働の対価としては無関係なバブリーなマネーで、特殊な者たちのみが子沢山になるという点においてではなかろうか?
日本史にしろ、世界史にしろ残酷な事件や事故は多々現れるが、それらの多くは富を求めての事であった。
特に大航海時代をないがしろにすることは、不可能であり、この時代の金融業の認可こそが、巨大なエンジンとなった感は否めないだろう。
財を貯め込んでいた者たちに目を付け、彼らに緩和政策を執った途端、巨大な影が現われ、この時代に至るまで世界を飲み込んできたのだ。
「シナリオを敷く」「自分たちを曲げない」「強制する」「明白な事実を簡単に捻じ曲げる」「買収する」「やたら平然としている」これらは、犯罪心理とも言え、プロフェッショナルならプロファイリングの対象とするのは、常識であろう。
しかし、有能な人材であってもサラリーマンの範疇に含まれるのなら、なし崩し的に従ってきたのだろう。その敗北の堆積こそが虚像の正体と言えまいか。「世界虚構」であると。
産まれながら、身体中にコルセットやギプスを取り付けられたかのように、不器用にも、自分たちは消極的な人生を歩んできた証拠なのか。
ヴェニスの商人を著したとされる、ウィリアム・シェイクスピアもこの内容をローマ時代の悲喜劇から引用したとされている。
ならば、この時代に届いた警告は、ギリシャ・ローマ当時にあった叡智であり描写なのだろう。かつて起きていたことが、この時代にも続いているのだと。
筆者はこうも思うのだ、「鶴は千年、亀は万年。」などという格言じみた言葉を紐解けば、「鶴は千年恨み、亀は万年恨む。」このように解釈できなくはないだろうか?