日本人はおかしいとか、洗脳されやすいとかはよく聞くものだ。たとえ優秀な成績を誇っていたとしても。
確かに歴史を見ると、世界で戦略の障害と認識された例は多い。ビジネスであれ戦争経済であれ。基本的に世の中は「金融」によって動かされているのであり、民主主義というのはそのための「おまじない」でしかなかろう。この日本も民主主義であったためしは一度たりともないだろう。
某大国と同じくして、民主主義がまかり通りそうになった場合、必ずフォースが解き放たれたものだ。そこに見るのは私物化の印、象徴、恐怖、なわばりのドラミングなのである。突き詰めれば、いずれの各国においても同様であり、その体たらくの価値は等しい。皆が暗に分かっているではないか。俺たちがしているのは「弱い者同士のハッスル」であると。
結局は、このアナログ・ワールドに建築された「トリック・アート」の住人なのだから。たまに気づいてしまうその”ムカつき”がそう言わしめる。無作法に手入れされていない国家など存しない。
常にその手法はこうだ。懐柔しやすい物心ついて間もない「子供達」が対象だ。とりわけ性別の方は言わずもがな。糖分すらウェポンなのだから。成人したホモ・サピエンスは眼中にない。百か年かけても「めばえ」がターゲットにふさわしい。状態遷移はカネさえあればいとも容易く成功できる。
だが、いつまでも目をそらすわけにもいくまい。苦しみはネグレクトした年数に比例し続ける。それとも右に倣い、ウソのギネス記録を更新する手伝いでもしようというのか。カレンダーに全て4月1日と365回書き殴ればよい。
恐怖が蔓延した時に、その者たちは「引き算」すらまともにできてはいまい。ああ、「悪魔の脳」は海の向こう、そして「AI」が引き継ぐのだ。